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2015ドイツ・チェコ・オーストリア個人旅行(2015.9.14-10.5)
ウィーン編/オーストリア(2015.10.1-10.3)
R 千年の歴史を持つ「ウィーン」と佐渡裕コンサート
千年の歴史を感じさせる「ウィーン」 2015.10.1(木)-10.3(土)
ウィーンの街は神聖ローマ帝国やオーストリア・ハンガリー帝国を支配したハプスブルク家なくしては語れない。「太陽の沈まぬ国」と謳われ、世界史上で唯一無二の栄華を誇った。そのハプスブルク家の庇護の元、モーツァールト、ハイドン、ベートーベンらが活躍、音楽が一気に開花。ミヒャエル門を目の前にすれば、ウイーンが1000 年の歴史を持つ都だということが再確認できる
ところで、ウィーンは長年、世界一住みやすい街に選ばれているという(最近は2、3位だとか)。ハプスブルク帝国時代の歴史的な建物とモダンな建築物が調和する美しい街並み、オペラ、オペレッタ、コンサート、ミュージカル、演劇や美術など、豊かな音楽や文化と併せて、ウィーン料理やワインなど、魅力がいっぱいだからだろうか
<ウィーン1日目散策ルート> 
ホテル→シュテファンス プラッツ駅(U3)へ行き、ランチ→シュテファン寺院から観光をスタート→エンゲル薬局→ミヒャエル門・ミヒャエル教会→ホーフブルク王宮→シュテファンプラッツ駅に戻り→カールプラッツ駅→カールプラッツパピリオン→分離派教会→ナッシュマルクト市場→マヨルカハウス→メダリヨンマンション→シェーンブルン宮殿→佐渡裕コンサート
リング内のシュテンファン寺院近辺の散策 2015.10.1(木)
ウィーン観光といえば、やはりウィーンのシンボル「シュテファン寺院」だろう。「シュテンファンスプラッツ駅」で下り、時間がないので、慌てて、シュテファン寺院への道を尋ねたら、中年の女性はニッコリと笑って、彼女の後ろを指差した。おもわず、わたしも笑いだす。目の前に、メチャクチャ大きなシュテファン寺院の塔がそびえていた
「シュテファン寺院」は、オーストリア最大のゴシック建築物で、国立オペラ座と並び、ウイーンを代表する建物だ。屋根の美しいモザイク模様が目を惹く。ズームで捉えたら、六角形のタイルが整然と並べられていた
ユーゲント・シュティール建築のエンゲル薬局 2015.10.1(木)
ユーゲント・シュティール建築の「エンゲル薬局」。オットー・ワーグナーの弟子、オスカー・ラスケによる建築。壁いっぱいに描かれた壁絵の、天使の紫のドレスと、のびやかな腕と、羽根のバランスが素晴らしかった
ミヒャエル広場 2015.10.1(木)
ミヒャエル広場に向かって歩いて行くと、いきなり目の前に巨大な建物が現れ、びっくりする。街角にはまったく不釣り合いな大きさだ
ミヒャエル広場に面した華麗なミヒャエル門から旧王宮(ホーフブルク)、王宮宝物館へと続く。緑色の大円蓋は高さ60m。その大円蓋を下からのぞむと、繊細な刺繍のような装飾が見えた
ミヒャエル門をくぐると、中庭「イン・デア・ブルク(王宮中庭)」が現れる。中央にフランツ1世像。640年間、ハプスブルク家の歴代皇帝がこの王宮で過ごした
スイス近衛兵が宿営したスイス宮。ハプスブルク家の盛衰を見つめてきた王宮の中でも最古の部分 建物は改築が繰り返されたため、ロマネスク、ゴシック、ルネッサンス、バロックなど、さまざまな様式が混在している
金のキャベツ「分離派会館」 2015.10.1(木)
「分離派」としての新風の理念のもと、建設された「分離派会館」。建築家ヨーゼフ・マリア・オルブリッヒの設計。ウィーンで最も著名な建物に数えられる。月桂樹の葉による球形(通称「金のキャベツ」)は、完成当時は市民に大不評だったという
カールス プラッツ駅近くの交差点の1シーン。赤信号のシグナルマークは赤いカップル(^^)。
オーストリアの人口は 800 万ほど。観光以外に産業がほとんどなく、日本の北海道くらいの緯度にある雪の多い北の小さな国で、公用語がドイツ語だと知って、驚いた。オーストリア語ではなかった
「カールスプラッツ旧駅舎」と「ナッシュマルクト市場」 2015.10.1(木)
カールスプラッツ駅近くのカールスプラッツ駅の元駅舎「オットー・ワーグナー・パピリオン・カールスプラッツ」。オットー・ワーグナーによる世紀末建築の代表作。駅舎にはもったいないほどの装飾 ナッシュマルクト市場。ウィーンで最も知名度の高い食品市場で、約120の店舗が並ぶ
「ナッシュ」とは甘いものを指す言葉。それもあってか、スイーツのお店もいっぱい。国籍不明なカラフルな菓子が並ぶ。お菓子からレストランまで、ウィーンからインド、ベトナム、イタリアと、何でもありのマーケットだ
時代の寵児が生んだ「マヨルカハウス」と「メダルヨンハウス」 2015.10.1(木)
カールスプラッツ駅からひと駅乗って、「ケッテンプリュッケンガッセ駅」で下りて、「linke Wienzeile通り」を行ったり来たり。マヨルカハウスとメダルハウスを見つけるため、歩き回った(^_^;)。オットー・ワーグナーの「マヨルカハウス」は、イタリアのマヨルカタイルを壁面いっぱいに使い、色鮮やかな花模様が今なおあでやかな色を残す。100年以上経てもなお、色落ちせずに鮮やかな色を保っているのは、素材がタイルだからだ
ワーグナーと同時代の芸術家で工芸家のコーロ・モーザという人がデザインした「メダルヨンマンション」。壁に金色に輝く女性の顔のメダルヨン(大きなメダル状のもの)がちょっと強烈(^_^;)。金色の装飾やゆるやかな曲線が、ユーゲントシュティールらしさを強調しているのだという
マヨルカハウスを探しまわっていた時に見つけた、こちらもユーゲントシュティールらしさをのぞかせる建物。ビルのピンクの壁面に、女性の頭の彫刻がきれいに並んでいた
「マヨルカハウス」への道を聞いても、結構、知らない人が多かったのは、「「linke Wienzeile通り」一帯には、個性的な建物がいっぱい建っていたからかな、と後で気づいた(^_^;)
ドイツの世紀末芸術を垣間見る 
パリ/ロートレック ロンドン/サロメ パリ/ミュシャ ウィーン/クリムト パリ/エミール・ガレ
1890年から20世紀初頭にかけ、ヨーロッパを駆け巡った幻想的・神秘的・退廃的な芸術「世紀末芸術(せいきまつげいじゅつ)」。
ロンドンではオスカーワイルドのグロテスクで官能的な戯曲「サロメ」が大成功し、パリでは、ミュシャの版画・ポスター・挿し絵がもてはやされ、エミール・ガレなどのガラス工芸が人気を博した。トゥールーズ=ロートレックの娼婦や踊り子を描いた「ムーラン・ルージュ」のポスターも世紀末芸術の作品として、開花した。
ウィーンでは、クリムトの描く官能的で退廃的な絵画が一世を風靡し、オットー・ワーグナーの建物の機能美が話題を呼んだ。ユーゲントシュティール(仏:アールヌーヴォー)の建物の特徴は、実用性を兼ね備えたデザインが特徴で、鮮やかな色彩となめらかな曲線、植物のモチーフが用いてられている
楽友協会で佐渡裕氏(YUTAKA SADO)の就任初のコンサートを観る 2015.10.1(木)
世界でも著名な小澤征爾に継ぐ日本人指揮者として、今、活躍をしている佐渡裕氏を見ることができた。
折も折、今年(2015年)から佐渡氏はウィーン・トーンキュンストラー管弦楽団の首席指揮者(音楽監督)に就任。10月1日のコンサートは、就任初のコンサートという、記念すべきコンサートだった。特に、マリア・ジョアン・ピリスのピアノ演奏が素晴らしくて、音楽的知識ゼロ(^_^;)のわたしでも、胸がふるえた
古代ギリシャの建築美を彷彿させる金色に輝く華麗な楽友協会の大ホール。佐渡氏が出てくるたび、大きな拍手が大ホールに響き渡った。海外での初オーケストラ体験に佐渡氏を観ることができたのは、最高の記念だった
このチケットは、予約に手こずった。やっと、予約できた時には、2階席のバルコニー席しか残っておらず、見えづらかったものの、会場の中程だったので、素晴らしい音響を楽しむことができた。3列目の座席なので立って観た
ピンクの外壁が目印の楽友協会の建物。屋根やテラスの上には、それぞれの楽器を演奏するエンジェルたちが立っている。年1回、開催される「ウィーン・フィルハーモニーの舞踏会」の会場としても有名
今回、佐渡裕氏のコンサートに参加したのは、ポルトガル出身のピアニスト「マリア・ジョアン・ピリス」。時に歌を奏でるように、時に激流のごとく激しく、寸分の乱れもないピアノ演奏を披露してくれた。
ピリスは、「音楽は神への奉仕」と語っているそうだ。また、日本が大好きで、何度も来日し、公演を行っている。
顔の表情は見えなかったが、華奢な身体に、みなぎるパワーを感じることができた

彼女の演奏に、惜しみない拍手が続いた
花で彩られたシェーンブルン宮殿 2015.10.1(木)
美しい花などで彩られた世界遺産「シェーンブルン宮殿」は、ハプスブルク王朝の歴代君主の離宮として使用された宮殿。手入れが行き届いた庭園も世界遺産に登録されている
バロック宮殿の中には合計は1,441室の部屋があり、建物の端から端まで180mもあるという。実は、この1,200室の内、40室を官舎として、賃貸していると知り、びっくり。2LDKで120m2、家賃はなんと約4万円だそうだ
ともかく広い。nabeさんはベンチでのんびりと待機
陽をよけるためなのか、葉っぱのアーチが続く せっかくなので、遠方の坂の上の門まで歩いた
宮殿に向かい合う形で、丘の上に毅然と立つギリシャ建築の記念碑は、プロイセン戦の勝利と戦没者の慰霊の為に立てられたという
フンデルト・ヴァッサーの建物を探して 2015.10.1(木)

フンデルト・ヴァッサーの「フンデルト・ヴァッサーハウス」を観るために、U駅の「Landstraβe駅」へ。ところが、探しても全然見つからない。最後に学生さんが教えてくれたが、19:30からの佐渡裕氏のコンサートに間に合わなくなったため、結局観ることができなかった。おまけに、着替えをする時間もなく、Gパンでコンサートへ行く羽目となり、正装した女性からビックリ顔で、「二度見」をされたりして、恥ずかしい想いをしたのも、それはそれで、懐かしい想い出のひとつとなっている(^_^;)

「フンデルト・ヴァッサーハウス」は観ることはできなかったが、一生懸命に道を教えてくれた優しい女性にも会えたし、カラフルで実に変テコリンな校舎(美術大学?)や不可解なオブジェを眺めて来た
チェスキー・クルムロフからウィーンへシャトルバスで移動 2015.10.3(土)
ベルリンからプラハも、プラハからチェスキー・クルムロフへの移動も、スチューデント エージェンシーで、格安移動ができたが、なぜか、チェスキー・クルムロフからウィーンへの移動には、スチューデントエージェンシーの運行はなく、電車だと、非常に不便なため、シャトルバスを利用した。ホテルからホテルという、便利なはずの移動だったが、約30分ほど遅れて(一番最後のホテルだったため?)4時間近くかかり、ギュウギュウ詰め状態だったので、ホテルからホテルの移動のはずが、却って疲れてしまった(1人57ユーロ約8000円ほど)。ちなみに、スチューデント エージェンシーバス料金=ベルリン→プラハ1人9.75ユーロ1,365円 プラハ→チェスキー・クルムロフ1人7.6ユーロ1,064円)
トイレ休憩地へ到着すると、CKシャトルの車がいっぱい。バス便がないので、独占的になっているのかも このゲートが、チェコとオーストリアの国境ゲート。特にチェックもなしに通り過ぎる 特に見るべきものはなく、平坦な景色が続く(^_^;)
ウィーンのホテル「Hotel Furstenhof(フュ―ステンホフ ホテル)」の不愉快な対応 2015.10.3(土)
チェスキー・クルムロフから4時間近く、狭いシャトルバスに揺られて、疲れ切って到着したとたん、ウィーンのホテルで信じられないホテルの対応を受けた。今回の旅行で唯一無二の不愉快な出来事だった。他のスタッフは問題なかったし、ホテルの居心地も悪くないはずだったが、ウィーンの素敵な街を歩いても中々、この不愉快な思いは収まらなかった。後で他のスタッフから名前を訊くと「アイリーン」という名だった。肌が少し黒く、インド系だったので、自分が受けた人種差別を私達に転嫁したのかなと思う。帰国後、ホテル予約でいつも利用しているagotaに苦情を書くと、次回ホテルの10%割引のお詫びメールが届いた。旅の汚点はそんなものではぬぐい切れるはずはなく、ホテルのマネージャーにきちんと苦情を言うべきだったと、後で反省した
他のホテル同様、予約済みのagotaからのメールの印刷と、パスポート、クレジットカードを提示すると、女性スタッフはバウチャーがなければ、チェックインは不可能だと、言い出す 今すぐメールに添付されているバウチャを開けという。海外ではオリジナルメールボックスを開くことはできないと言っても、バウチャーがなければ、チェックインは不可能だと、言い続けた そして、結局は、何事もなかったように澄ました顔をして、ポンと鍵をカウンター越しに出した。多分、それまでのやりとりは単なる彼女の嫌がらせだったのだと思う
オーストリアの人種差別について
ちょっと気になって、ネットで「オーストリア 人種差別」と入力して検索してみた。すると、わたしたちが受けた不愉快な体験より、はるかに嫌な思いを経験した人が多くてびっくりした。ヨーロッパの中でも特にオーストリアは人種差別がひどい国だそうで、ウィーンはアジア人への差別が、特に強い街だと書かれていた。「移民排斥を掲げる極右政党」が支持を集めているお国柄だ。人種差別が根底に根付いているのだろうか。また、人種差別を受けた人ほど、自分より弱い立場の人に対し、人種差別をする、というような書き込みもあった。
今回、そんなオーストリアでポリスに囲まれながら、ホームを移動する難民たちの行列を目にした。難民たちがオーストリアに留まらず、ドイツへ向かうのは、当然のことかな、と感じた
オーストリアで見た難民たち 2015.10.3(土)
ホームで、次から次へと、山積みのリンゴやバナナ、水などが運ばれるので、朝から店舗の品物の補充かなと思っていたら、難民へ配る食糧だった。ポリスたちも続々と集結し、ものものしい雰囲気
ホームには続々と難民の一行がやってきて、果物などをビニール袋に入れていた。ポリスに先導されて、彼等はわたしの視野から消えて行った

次は ウィーン編/オーストリア
Sメルク修道院とヴァッハウ渓谷クルーズ

2015年ドイツ・チェコ・オーストリア旅行22日間 ベルリン&ハンブルク編(2015.9.25〜9.28)
@2015年ドイツ・チェコ・オーストリア旅行について L新旧の魅力が調和する「ベルリン」とオペラ鑑賞
A2015年ドイツ・チェコ・オーストリア旅行スケジュール Mベルリンの壁と、2015年ベルリンマラソンと、蚤の市
フュッセン編(2015.9.15〜9.18) Nドイツサッカー観戦と、ミニチュアランドと、倉庫街
Bロマンティック街道の南端の街「フュッセン」 プラハ編(2014.9.28〜9.30)
Cドイツ最高峰「ツークシュピッツェ」と「ガルミッシュ」 O聖ヴァーツラフの葡萄収穫祭と百塔の街「プラハ」
ミュンヘン編(2015.9.18〜9.21) P傭兵交代式とマリオネットと聖フランシス教会コンサート
Dミュンヘンのオクトパーフェストの初日編 チェスキー・クルムロフ編(2014.9.30〜10.1)
Eミュンヘンのオクトパーフェストの二日目編 Qチェコで一番美しい町「チェスキー・クルムロフ」
Fオクトパーフェストのテントハウス ウィーン編(2015.10.1-10.3)
Gオクトパーフェストでにぎわうミュンヘンの街並み R千年の音楽史をもつ「ウィーン」と佐渡裕コンサート
ローテンブルク&ニュルンベルク編(9.21〜9.23) Sメルク修道院とヴァッハウ渓谷クルーズ
H木組みの家が可愛い「ニュルンベルク」  10 ザルツブルグ編(2014.10.3〜2015.10.4)
I中世の宝石箱「ローテンブルク」 21ザルツブルクの街散策と城壁ディナーコンサート
ライプツィヒ(2015.9.23〜9.25) 11 2015年ドイツ・チェコ・オーストリアのえとせとら
Jエレベ川のフィレンツェ「ドレスデン」 思いつつままに「旅のよもやま話」
番外編「2015年10月、目の前で見た難民たち」
K音楽と芸術の街「ライプツィヒ」と四重奏コンサート

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