2015年ドイツ・チェコ・オーストリア個人旅行TOP  「旅いろいろ」TOP  「アイビーネット」TOP

2015ドイツ・チェコ・オーストリア個人旅行(2015.9.14-10.5)
チェスキー・クルムロフ編/チェコ(2015.9.30-10.1)
Q チェコで一番美しい街「チェスキー・クルムロフ」
チェコで一番美しい街・世界遺産の「チェスキー・クルムロフ」 2015.9.30(水)-10.1(木)
チェスキー・クルムロフはちょうどプラハとウィーンの間に位置する。ネットのチェスキー・クルムロフの旅行記で、オレンジ色の屋根が広がる中世の街並みを見たとたん、どうしても行きたくなって、行程を変更して、ようやく一泊することができた。
チェスキー・クルムロフに到着したのは9月30日、白樺やナラの葉が町を初秋色に染めていた
赤茶けた屋根の中から、突き出ているのは、チェスキークルムロフ城のシンボル「ベルグフリード塔」と、旧聖ヨシュタ教会の幾何学的な鐘楼
<散策ルート> ホテル→聖ヴィート教会→スヴォルノスティ広場→市庁舎→床屋橋→チェスキー・クルムロフ城→ベルグフリード塔→城内劇場→エッゲンベルク醸造所
チェスキー・クルムロフの街散策 2015.9.30(水)-10.1(木)
チェスキーとは、「チェコの」という意味で、クルムロフとは、「川の湾曲部の湿地帯」という意味。湾曲したヴルタヴァ川が旧市街をまるでしずくのように絞り込む。赤茶けた屋根が眼下に広がる
ボヘミアの森に囲まれた小さな町は「眠れる森の美女」とも称賛され、世界遺産に登録されている
インフォメーションのあるスヴォルノスティ広場。渦巻きを左右に配した飾りやカラフルな建物が並ぶ。ところで、せっかくのメルヘンチックな雰囲気も、我が者顔でうるさい中国人観光客のために半減(;_;)。彼らは宝石店を出たり入ったり、買物に励んでいた
街を散策すると、三角屋根や、アーチの門、色とりどりの外壁、だまし絵の他、小さな主役たちにも出会う
しずくのように、川が町を絞り込んだ不思議な地形のため、ひとたび、川が氾濫すると浸水被害も大きいそうだ。2002年10月、2013年6月とヴルタヴァ川が氾濫し、大きな被害をもたらした
昔ながらの家の一画で、小さな土産物屋さんが開いていて、絵になっていた(^^)
チェスキー・クルムロフ城へ 2015.9.30(水)-10.1(木)
街の高台に君臨する「チェスキークルムロフ城は、チェコで二番目の大きさを誇る城。その城の壁面には、びっしりとだまし絵(フレスコ画)が描かれている
城内の堀には丸々に太ったクマ。昔、狩りに出かけた王様がクマに襲われ、城に逃げ帰り、跳ね橋を上げたとたん、追いかけて来たクマが濠に落ちて、それ以来ずっと濠に住み続けている、という 気が遠くなるほどの長い年月、多くの人や馬車が行き来したであろう石畳は、磨きに磨かれて、つるつる。そのゆるやかな坂の石畳をのぼると、アーチ型の渡り廊下が現れる。城内へ入ると、アーチのヴォールト天井の向こうから、ガイドツアーの一行がやってきた。城は、庭以外はツアーガイドのみでしか、見学することはできない。しかも内部は撮影禁止ということで、中庭だけ見学した
だまし絵(フレスコ画)の始まりは、レンガや彫刻などをふんだんに使い、立派な城を建てたいものの、費用が足りず、絵を書いて、見栄えをよくしたと言われている
チェスキー・クルムロフ城のシンボル「ベルグフリード塔」。朝陽をあびて、ベルグフリード塔のフレスコ画が色鮮やかに輝く。隣りにちょうど朝月がくっきり寄り添っていた
チェスキー・クルムロフの庭園と城内劇場 2015.9.30(水)
ぜひ訪れたいのが、城の庭園。手入れの行き届いた庭や噴水、城内劇場など、散策が楽しめる こちら側が7世紀の優美なバロック劇場の城内劇場(宮廷劇場)の舞台側
チェスキー・クルムロフ城の責任者となったスラフコ氏の手によって、建物だけでなく、舞台装置の仕掛け(大がかりに回るのだそうだ)が、当時のままに復元された
チェスキー・クルムロフ城から、赤茶けた屋根が広がる街を一望する
おもしろいオブジェがいっぱいのアートな場所 2015.9.30(水)〜10.1(木)
チェスキー・クルムロフを散策して、指のオブジェに気づいた人も多いと思う。なぜ、指なのか、理由はわからなかったが、若いアーティストたちのオブジェがたくさん置かれているアートな場所を見つけることができた
10/1は初秋、若干、寒いが、朝の散策に出かける。前日、のぞいて、気になっていたので、もう一度、アートな家を訪れる。犬を散歩中のおじさんと行きかう。やっぱり、何度来ても、楽しくなる場所だ(^^)
はだしのベンチ。近くで見ると、もっとリアル(^_^;)。石畳には、若きアーティストたちの名前が埋め込まれていた
地ビールが飲めるチェスキー・クルムロフの人気のレストラン「エッゲンベルグ」 2015.9.30(水)
ランチを食べるために、ビアレストラン「エッゲンベルグ」へ。昔は、醸造所の冷蔵保管庫だった建物なので、建物も雰囲気もおもしろい。営業は11:00 - 22:00まで
ソーセージと生ハム、ベーコン、サラミ、焼き豚、ピクルスなど、ボリュームいっぱいの盛合わせ「Selska misa(180g 90チェコクローネ)」と、Vino bile(35チェコクローネ)と、ビールEggenberug svetle(21チェコクローネ)を注文。2人で充分の量。二種のソースで食べるハム類は素朴な手作り感があって、パンと一緒においしく完食
チェスキー・クルムロフの人気ホテル「Hotel Konvice(コンヴィツェ) 2015.9.30(水)-10.1(木)
ネット予約をして、安心していたら、「Americanエクスプレスのカードが使えない」ということで、突如、ホテルからメールが届いた。予約したサイトと、少し面倒なやり取りがあったが、無事カード変更も終了。でも、そんなトラブルのお陰で、ホテルのスタッフさんとメールのやりとりをすることができた。どんなことでも遠慮せずに聞いてください、とスタッフさんは親切なメールをくれた。一泊38ユーロ 5220円(朝食付き)という脅威の安さだった(^_^;)
チェスキー・クルムロフの入り口に建つ最高の立地。トランクは気配りが最高のスタッフ「Tomy」が運んでくれる。洗面所は、廊下を隔てたメゾネット様式。ビデも完備。今回の旅行中、一番の広さと居心地に感動
「Hotel Konvice(コンヴィツェ)」のおいしい朝食 2015.9.30(水)-10.1(木)
Tomyのお陰で、おもしろいオブジェがいっぱいある、アーティストの家にも、たどり着くことができた
チェスキー・クルムロフのえとせとら 2015.9.30(水)-10.1(木)
ホテル コンヴィッツ」で知り合ったご婦人方。お二人ともドイツ在住の方で、自家用車で3人でオーストリアを旅行中だった。地続きのヨーロッパならではのドライブ旅行とは、実に、うらやましい。
これからウィーンに向かうというので、また出会えるかなと、握手して別れたが、残念ながら出会えなかった(^_^;)。
右側のご婦人は、日本にも来たことがあって、ひと月ほど、京都をはじめ、福井、九州と日本を旅行したと話してくれた。
「日本に来てくださいね!」と、言うと、「来週ね!」と、陽気なご主人が応えるので、笑ってしまった。
ああいうジョークがさらりと言えるようになりたいなぁ、と、nabeさんが、しきりと感心していた(^^)
「チェコの伝統産業、名物のボヘミアガラスの爪やすりは1本1000円足らずなのでお土産にぴったり。
土産物屋の人気商品だ。

素材は硬化ガラスで、半永久的にそのきめ細かさを保ち続けるとか。使用後は水で洗い流すだけで長持ちし、煮沸消毒も可能だそうだ。何より、軽くて小さいので、土産物にぴったり
翻弄されたチェスキー・クルムロフの光と陰 2015.9.30(水)-10.1(木)
チェスキー・クルムロフが再建されたのはここ20年、という情報を見つけて、びっくりしてしまった。中世の街並みは何の問題もなく、昔のまま保存されてきたと思っていたからだ。
特にクルムロフ城は、ナチス・ドイツに占領され、歴史的建物はことごとく破壊され、廃墟同然となった。民主化されたチェコのもと、城の責任者となったスラフコ氏の尽力により、城は17世紀の優美なバロック劇場の姿を取り戻し、貴重な文化施設である城内オペラ劇場は、舞台裏の装置や仕掛けまで、当時のままに復元されたのだ。
おとぎの国チェスキー・クルムロフの街がナチス・ドイツの基地になっていたとは想像もつかない。この町はなんと多くの苦難に翻弄されたことか。ネットを駆使して、町の変遷を調べてみた。

※画像はネットより拝借
13世紀、ブルタバ川沿岸の地の利を生かし、手工業と商業で栄えたチェスキー・クルムロフの翻弄の始まりはボヘミアの有力貴族ローゼンベルク(ロジェンベルク)家がこの町を借金のカタに、神聖ローマ皇帝ルドルフ2世の手に売り渡したことだろうか。その後、この町はエッゲンベルク家の手に移った。

1719年、エッゲンベルク家が断絶すると、有力貴族のシュヴァルツェンベルク家が相続し、19世紀に至るまで、町では支配階級のドイツ系住民と被支配階級のチェコ系住民が共存していた。

(※6月の「五弁のバラ」祭りでは、中世の音楽や旧領主のローゼンベルク家にまつわる劇やダンスを披露)

※画像はネットより拝借
ところが、1867年、オーストリア(ハンガリー帝国)に組み入れられ、民族主義が台頭し、次第に町はドイツ系とチェコ系に分離するようになった。

第一次世界大戦でオーストリア(ハンガリー帝国)が敗戦し、崩壊すると、町はチェコスロバキア領となり、やがてナチス・ドイツが町を占拠。ドイツ人兵士が多くの建造物を破壊、特に城は廃墟同然となった。

しかし、今度は第二次世界大戦でドイツが敗北すると、町はチェコスロバキアに復帰し、ドイツ系住民が市民権と財産をはく奪・追放され、大半の市民を失った町は荒廃の時代を迎える。廃墟となった町には東欧で放浪をしていたジプシー(ロマ)が流入し、定住。今もなお、激しい民族差別があるという。旧市街を少し外れると、修復もされず、ぼろぼろになった家々が今なお残っているという。
チェスキー・クルムロフが今の姿になったのは、1989年のビロード革命により、町の景観の歴史的価値が再認識され、建造物の修復が急速に進められ、1992年にユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されたことによる。世界遺産として脚光を浴び、町は発展し、現在の姿となった。
長く歴史に翻弄されたチェスキー・クルムロフ。きれいに整えられた現在の街並みは、暗い時代を切り抜けて、ようやくつかんだ栄光なのだとようやく理解できた

次は ウィーン編/オーストリア
R千年の音楽史をもつ「ウィーン」と佐渡裕コンサート

2015年ドイツ・チェコ・オーストリア旅行22日間 ベルリン&ハンブルク編(2015.9.25〜9.28)
@2015年ドイツ・チェコ・オーストリア旅行について L新旧の魅力が調和する「ベルリン」とオペラ鑑賞
A2015年ドイツ・チェコ・オーストリア旅行スケジュール Mベルリンの壁と、2015年ベルリンマラソンと、蚤の市
フュッセン編(2015.9.15〜9.18) Nドイツサッカー観戦と、ミニチュアランドと、倉庫街
Bロマンティック街道の南端の街「フュッセン」 プラハ編(2014.9.28〜9.30)
Cドイツ最高峰「ツークシュピッツェ」と「ガルミッシュ」 O聖ヴァーツラフの葡萄収穫祭と百塔の街「プラハ」
ミュンヘン編(2015.9.18〜9.21) P傭兵交代式とマリオネットと聖フランシス教会コンサート
Dミュンヘンのオクトパーフェストの初日編 チェスキー・クルムロフ編(2014.9.30〜10.1)
Eミュンヘンのオクトパーフェストの二日目編 Qチェコで一番美しい町「チェスキー・クルムロフ」
Fオクトパーフェストのテントハウス ウィーン編(2015.10.1-10.3)
Gオクトパーフェストでにぎわうミュンヘンの街並み R千年の音楽史をもつ「ウィーン」と佐渡裕コンサート
ローテンブルク&ニュルンベルク編(9.21〜9.23) Sメルク修道院とヴァッハウ渓谷クルーズ
H木組みの家が可愛い「ニュルンベルク」  10 ザルツブルグ編(2014.10.3〜2015.10.4)
I中世の宝石箱「ローテンブルク」 21ザルツブルクの街散策と城壁ディナーコンサート
ライプツィヒ(2015.9.23〜9.25) 11 2015年ドイツ・チェコ・オーストリアのえとせとら
Jエレベ川のフィレンツェ「ドレスデン」 思いつつままに「旅のよもやま話」
番外編「2015年10月、目の前で見た難民たち」
K音楽と芸術の街「ライプツィヒ」と四重奏コンサート

2015年ドイツ・チェコ・オーストリア個人旅行TOP  「旅いろいろ」TOP  「アイビーネット」TOP