高円寺の阿波踊りを観て、阿波踊りのファンになったのは7年ほど前でしょうか。
毎年8月の高円寺の阿波踊りを楽しみにしていました。

そして、いつか本場徳島の阿波踊りを観たいと思っていた矢先、ひょんなことから
徳島行きが決まり、念願の徳島で三日間阿波踊りをトコトンながめてきました。

ただ、今回の旅行で、いかに自分が阿波踊りについて、知識がないかを痛感(^^;)。
なんたって、阿波踊りの噺子言葉の「アー、エーライヤッチャ、エーライヤッチャ、ヨーイヨーイヨイヨイ」を
「ハー、エーライコッチャ、エーライコッチャ、ヨーイヨーイヨイヨイ」とず〜っと思い込んでいた人ですから(^^;)。

今まで何と言っているのか聞き取れなかった、編み笠から聴こえる歌も
一句一句聞き分けることができた瞬間は、まるで謎解きができた時みたいに、はしゃいでしまいました(^−^)。
一かけ、二かけ、三かけて、仕掛けた踊りはやめられない。
五かけ、六かけ、七かけて、やっぱり踊りはやめられない


というわけで、今回ホームページを作るついでに、
徳島でもらったガイドブックやネットで調べた事柄を総動員して(^^;)、
阿波踊りについてわかった事柄を紹介しようかな、と思っています。

徳島在住のお母さん(?)にも、昔の阿波踊りの様子など、
興味深いお話をうかがうことができましたので、それも付け加えますね。

ただ〜し、あくまでも「にわか知識」ですよ(^_^;)。
できたら少しずつ書き足していって、ゆくゆく徳島のお母さんにも褒めてもらえるような
そんな内容に仕上がったらよいかな、と思っています。

また、間違いや新しい情報がありましたら、どんどんとお知らせくださいませ。

2005.8.19 鴨下京子


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徳島阿波踊りのルーツについて

昭和27年花傘をかぶって踊るちびっ子連(阿波踊り会館より転写)

阿波踊りのルーツはさまざまな説があり、
最も有名なのが、江戸時代、阿波藩主の蜂須賀家政(はちすかいえまさ)公が、
徳島城の築城記念の宴で踊ったという説でしょうか。

もともと先祖の霊を慰めるための精霊踊りが始まりで、室町時代の頃より踊られていた「阿波の盆踊り」が
室町時代、京都で大流行した風流踊りや、
藍商人が持ち込んだお座敷芸やら、三味線流し、歌舞伎の踊りとミックスされ、
「阿波踊り」へと変遷していったのではないかと思われます。

ここで、阿波踊りの歌をぜひとも紹介したいと思います(^^)。

ハアラ エライヤッチャ エライヤッチャ
ヨイ ヨイ ヨイ ヨイ

阿波の殿様 蜂須賀公(はちすかこう)が 今に残せし 阿波おどり

笹山通れば 笹ばかり 大谷通れば 石ばかり

猪 豆喰て ホウイ ホイ ホイ

踊る阿呆に見る阿呆 同じ阿呆なら踊らな損々


ハアラ エライヤッチャ エライヤッチャ
ヨイ ヨイ ヨイ ヨイ

ひょうたんばかりが浮きものか 私の心も浮いてきた

踊り踊らば 品(しな)良く踊れ 品(しな)のよい娘(こ)を 嫁にとる

笛や太鼓の よしこのばやし 踊りつきせぬ 阿波の夜

踊る阿呆に見る阿呆 同じ阿呆なら踊らな損々


A

昔の徳島阿波踊りについて、徳島のお母さんに伺いました


昭和30年の女踊り 企業連も増えてきた頃(阿波踊り会館より転写)


「今の鳴り物さんは太鼓ばかりうるそうてあかんな〜。」
と徳島のお母さん。昔は優雅な笛の音が高く鳴り響いたそうです。

ちなみに鳴り物と言えば、横笛、三味線、鐘、鼓、締太鼓、大太鼓。
連同士で競うと、どうしても太鼓のボリュームが大きくなってしまうのかもしれませんね(^^;)。

実は昔の阿波踊りは夜中じゅう、至るところで繰り広げられていたとか。
それが近所から「うるさい」と苦情が出て、時間制限が始まったそうです。

「徳島は藍染で財をなしたお金持ちがぎょうさんいて、二号さんもよ〜け
おったでじょ(^−^)。秋田美人の二号さんやら色街からは芸妓はんたちが
ぞめき(浮き足立ってくるようなリズムのこと)にあわせて、ほんまにあでやかな踊りを見せてくれましたで、
昔は「よしこの歌」も情緒あって、よろしかったわなぁ〜」

(※なお、徳島のお母さんの語り口調については、正確な徳島弁ではないことをお許し下さい(^^;)。)

「よしこの節」とは、「踊る阿呆に見る阿呆・・・」でおなじみの阿波踊りの歌。
第一人者の元芸妓さんだった「お鯉さん」の歌をテレビで観る機会があり、
阿波踊りの快速なリズムを刻む三味線の音をバックに
その三味線のテンポを5倍ぐらいに引き伸ばしたような(^_^;)おおらかなゆったりとした長唄もどきの声で
「あ〜わ〜の〜殿様〜蜂須賀公がぁ〜・・・」と歌うのを聞いた時はびっくりしてしまいました(^^;)。

本来の「よしこの節」って、長く間延びしたゆったりとしたテンポの歌なんですね。
最近では、テンポの速い「よしこの節」が一般的みたいになってしまったようですが。

400年以上もの歴史をもつ徳島の阿波踊り。いろいろな地域に阿波踊りが広まるにつれ、
また地元徳島でも、時代とともに少しずつ変化していったのでしょうか。

「あのなぁ、今まで一度も阿波踊りでけんかはないんじょ」
お母さんの顔に徳島県人としての誇りが浮かぶ(^^)。
「ほら、見てみ? みーんな踊り子さん、わろてるやろ?
それじゃから、けんかにならんのじゃ」

「それにな、不良もおらんじょ。
1年に何回も踊りの会で引っ張り出されるで、
不良してる暇もないんじょ(^0^)」

なんとも微笑ましい話だと思って聞いていたら、わたしの耳元に口を近づけると
「女の子は東京の人と変わらんけど、男はかっこいい男はおらんじょ。
いっつもそう思うとる」とお母さんは耳元でささやいたのでした(^^)。

最後に、チクリと胸を刺したお母さんの言葉です。
「阿波踊りが終わると、近所は大そうじ。
くさいのと、ゴミの山でみ〜んな、お盆が来るたんび、うんざり。
けど、阿波踊りのおかげでぎょうさん人も来てくれるからなぁ・・・仕方ないんじょ」
と言うことでした。

わたしが見た限り、ごみが目立つということはなかったんですけどねぇ。
公園の一角や街中では分別して捨てられるよう、大きなゴミ箱がきれいに並べられていました。
でも、それは近所の方の苦労の上にでき上がったシステムなのかもしれませんね。

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