No.4 2009年祇園祭のハイライト「山鉾巡行」 その2(2009.7.17)
F「月鉾(つきほこ)」(2009.7.17)
「月鉾(つきほこ)」。鉾頭に新月型(みかづき)を載せることから命名。鉦すり(鉦を叩くバチ)の手に房のついた長い紐が結ばれ、その様々な色あいの紐が鉾の胴懸けの傍らで音色に添って上下に揺れる鉦すり(鉦を叩くバチ)の手に房のついた長い紐が結ばれ、その様々な色あいの紐が鉾の胴懸けの傍らで音色に添って上下に揺れる
稚児人形のちょうど上に下がっている「天水引」の霊獣図刺繍は天保6年(1835)の円山応震(まるやまおうしん)の下絵、。前懸、後懸は華麗なインド絨毯。胴懸はインドやトルコの絨毯 右上:新木の動揺を加減し、電線などの障害を調整する4人の「屋根方」さん。右下:鉾の曳き手は40〜50人とのこと
車輪はおよそ直径1.9m。その車輪を守る「車方」さん 榊(さかき)に結びつけられたたくさんの御幣が風に揺れる 後懸は華麗なインド絨毯、後ろ姿とて、華麗です(^0^)
G「蟷螂山(とうろうやま)」(2009.7.17)
「かまきり山」とも呼ばれ、屋根の上でかまきりがカマを振り上げたり、羽をバタつかせるので、歓声があがってました。また、かまきりだけではなく、御所車の車輪も動くそうで(カマキリに集中して気付かず(^^;))、唯一からくりが施された山です。「蟷螂の斧をもって、隆車のわだちを禦(ふせ)がんと欲す」という中国の故事にちなんだ山
H「菊水鉾(きくすいほこ)」(2009.7.17)
菊水鉾の曳き手は40〜50人。二本の綱を道路いっぱいに広げて、曳く様は圧巻
町内に古くからあった井戸・菊水井にちなんで名づけられた鉾。屋根は他の鉾と違って丸みを帯びた唐破風造り(からはふづくり)
I「綾笠鉾(あやかさほこ)」(2009.7.17)
綾笠鉾は、山鉾の中でも非常に古い形態を残している鉾のひとつで、大きな鉾と棒振り囃子の行列で巡行
棒振り囃子は、赤熊(しゃぐま)をかぶり、棒を持ったものが、鉦や太鼓、笛に合わせて踊るという
J「放下鉾(ほうかほこ)」(2009.7.17)
日・月・星の三光が下界を照らす鉾頭は「洲浜」に似ているので「すはま鉾」とも呼ばれている 休憩タイムなのか、囃子舞台から次々と囃子方が下りてきたところ 鉾胴からも人が。衣装からすると、音頭取かしら
目をトロンとさせて休憩を取る車方のおにいちゃん。鉾のかじ取り役の車方は重労働ですものね(^^) さすがに裃がよくお似合いの、巡行の供奉役の面々。お供の、武士の家来役なんだそうです
K「岩戸山(いわとやま)」(2009.7.17)
天岩戸を開いて、天照大神の出現する日本神話にちなんだ山。山とはいうものの、早くから鉾と同じ車をつけた曳山。なぜか、この「岩戸山」、先頭の幟を持つ人を始め、他の山鉾に比べて、ダントツに外国の人たちの参加者が多かったです。何か理由があるのかしら(^^;)。屋根の上には矛を突き出したイザナギの尊と屋根方のお二人
特に目を惹くのが水引。下水引は鳳凰瑞華彩雲岩に波文様紋織(平成15年復元新調)、二番水引は緋羅紗地宝相華文様刺繍、三番水引は紺金地雲三つ巴五瓜唐華文様綴織(共に平成17年復元新調)
L「船鉾(ふねほこ)」(2009.7.17)
船の形をしている独特の鉾で、舳先の金色の鶲が目立ってました。皇后の神像は岩田帯をたくさん巻いて巡行し、祭が終わると、妊婦に授与され、安産のお守りになったそうです
船鉾の下に、辻回し用の竹を発見。でも、よーく見ると、その竹の束を押さえながら歩いている人の姿が(・_・;)。巡行の間、鉾の下で腰を曲げて歩くだなんて、重労働ですよねぇ、ご苦労さまです(^^;) 幾重にも重なった水引が見事。雲龍図肉入刺繍の下絵は西村楠亭(1775-1834)の筆

次は 祇園祭のクライマックス「辻回し」

2009年祇園祭TOPページへ 旅いろいろTOPページへ アイビーネットへ戻る