2025/7/16-7/19 五島列島縦断5島の教会めぐり 
 
2.福江島(ふくえじま)で隠れキリシタンの歴史をめぐる 2025/7/16-7/18
五島列島には毎年旧盆の8月13日から15日に、「チャンココ」と呼ばれる古い念仏踊りが披露される。「チャン」が鉦(カネ)の音、「ココ」が太鼓をたたく音を表わしているとか。襦袢に花笠をかぶり、腰蓑(こしみの)をつけ、エキゾチックな南国風の踊りを披露し、祖先を敬う。各地でそれぞれの念仏踊りがあり、「嵯峨の島のオーモンデー」「玉之浦のカケ踊り」「下大津のチャンココ」「富江や山下のオネオンデ」などがある
郷土愛にあふれた、ベテランのおもてなしガイドさんは川口さん。国内初の海に浮かぶ「浮体式洋上風力発電(画像右)」を実用化したのは五島列島。電気自動車などもいち早く取り入れ、再生可能エネルギーでクリーンな島をめざそうと頑張っているそうだ 子供たちに人気のイイダコ釣り。小学校前、種子島に行った折、親戚の子供たちと海岸の岩場でイイダコ釣りをした記憶がふいに蘇る
◆聖水を飲むことができるルルドを持つ、赤レンガの「井持浦(いもちうら)教会」 2025/7/17
フランス人宣教師の神父ペルーがフランスのルルド(南フランスの町。洞窟に聖母マリアが姿を表わし、奇跡を起こしたといわれる洞窟)を模して作らせたレンガ造りの「井持浦(いもちうら)教会」。教会後ろの湧き水はルルドの聖水として、万病に効くといわれ、誰でもペットボトルに入れて持ち帰ることができる。容器がない人は200円で空のペットボトル180mlを購入できる
ペルー神父は五島の信徒に各地の岩石や石を集めさせ、フランスのルルドを模した日本初のルルドを作った。完成後、ペルー神父は、母国フランスから取り寄せた本場ルルドの奇跡の泉水を注ぎ入れ、フランスから取り寄せた聖母像を洞窟に納めたという
◆コバルトブルーに魅せられた「高浜ビーチ」 2025/7/17
高浜のビーチはまさにパウダーのようにキメ細かな砂粒のビーチだ。手ですくうとスルスルとこぼれていく。浅瀬のコバルトブルーと、沖の青さの違いが際立つ。目の前にはひょうたん型をした嵯峨島(さがのしま)が控える
◆お土産に人気の五島列島酒造 2025/7/16
五島列島の原料にこだわる五島列島酒造では、五島のサツマイモで作る「五島芋」、五島の二条大麦で作る「五島麦」が人気。焼酎は原料処理・製麹、一次仕込み、2次仕込み、蒸留、熟成と様々な行程を経て、完成
パネルを前にスタッフさんが説明してくれる。試飲はもちろん、お店でも売っているミニボトルの焼酎をお土産としてプレゼントしてくれるのも嬉しいサービス
島伝統の五島バラモンのラベルが引き立つ焼酎ボトル。芋焼酎と麦焼酎で一対のバラモンとなる 上:五島列島は、つばき油でも町おこしをしている
下:五島列島酒造に行く道沿いにあったカラフルなブイ
◆手入れの行き届いた丘の上に「キリストの道行」がある「水ノ浦(みずのうら)教会」 2025/7/17
水ノ浦教会は1880年(明治時代)、キリシタン復活の先駆者となった水ノ浦久三郎の遺志によって、最初の教会が造られた。1938年には鉄川与助設計施工の白亜の木造の教会が建築され、木造教会堂としては日本最大規模となる。ただ中に入ることはできないが、その代わりに、教会横の丘の上にキリスト信者のお墓と一緒に、「十字架の道行」が立てられていて、海からの風を感じながらの散策が心地よかった
水ノ浦(みずのうら)教会の始まりは江戸時代末期、宗教弾圧により大村藩から移住した潜伏キリシタンの5人の男性とその妻子らの移住から始まる。仏教徒を装いながら、ひそかにキリスト教を信仰する隠れキリシタンの人々の歴史だ。1868年12月25日キリスト降誕を祝う日、役人が踏み込み、後に30余名の男性が捉えられ、急場しのぎの牢につながれた。翌年、出牢したが、主だった8名はその後も2年間、牢につながれた
十字架の道行は教会によって、さまざまな形式があるが、水ノ浦教会は外に立てられている
丘の上から海を見下ろすと、教会と海が共存し、ひと足早いススキが海風にそよいでいた
本来、十字架の道行は14枚あるはず。4枚ほど、
写し忘れてしまった?(^_^;)
白亜の水ノ浦教会の側面。青空がよく似合う
◆見ごたえいっぱいのキリシタンの資料館がある「堂崎天主堂」 2025/7/17
江戸時代から続いた禁教令が1873年ようやく解除され、フランスから宣教師が招かれ、五島に常駐。1880年最初の教会堂が建てられた。その後、1907年、教会建築で名をはせた鉄川与助が棟梁となり、イタリアから運ばせた赤レンガでゴシック様式の教会が建てられた。内部は木造で、色ガラス窓、コーモリ天井と、定法通りの教会堂建築となっている
自由と愛の死者「復活の夜あけ」の銅像のマルマン神父とペルー神父。堂島教会は五島布教の中枢となり、社会奉仕施設や修道院の草分けとなった。孤児や貧しい子らを子部屋(収容所)に住まわせ、その子どもたちの養育を手助けする独身女性の施設(女部屋)も設けた。この事業が現在の修道院へと継承されている
あいにく教会内は撮影禁止。いたずらが後を立たず、やむえない措置だそうだ。この看板が示すように祭壇もアーチやステンドグラスも見ごたえのある美しい教会だった 強い信仰心を貫き、19歳の若さで処刑された「聖ヨハネ五島」。禁教令にそむき、大阪で捕まり、長崎までの800キロの道のりを33日間歩き続け、他の信者や神父25名とともに十字架の上で殉教した。死の直前、神に祈りを捧げた「受難のとき」の銅像

次は 3.海上タクシーで4つの島々の教会をめぐる

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