武州熊谷の関東一の祇園と呼ばれるうちわ祭。元をただせば、京都八坂神社から勧請した八坂神社の祭礼で、歳事はおごそかで、参勤交代の大小名も通行止めにされたほど。天保時代には疫病よけの赤飯を炊いて買い物客にふるまったことから、「赤飯ふるまい」でも有名になりましたが、その後料亭「泉州」の主人が赤飯の代わりに江戸から仕入れた渋うちわを配ったところ評判になり、「うちわ祭」に至ったとされてます


日本中の屋台(出店)が集合してしまったんじゃないかと思えるほど、屋台(出店)が軒を連ねてました。、
そのきわめつけは、やっぱり本物の「おばけ屋敷」だったでしょうか(^ー^)

JR高崎線に乗り換え、熊谷駅に近づく頃には車窓いっぱいに緑の稲(?)がまぶしいほどに拡がってました。帰りは2階建ての新幹線で東京駅へ。1時間以上かかった道のりを40分ほどで走リ切ってしまいました 高円寺の阿波踊りの、あの大混雑ぶりを想像して駅に降り立つと、ちょうちんがぶら下がったホームに、クラブ帰りの運動着姿の中高生の姿とサラリーマンの姿があるだけなので、一瞬我が目を疑いました(^_^;)

お堀の中心に、にわか仕立ての八坂神社の祭壇がしつらえられ、お賽銭を入れ、お参りをした人々に、可愛らしい巫女さんがうちわを手渡していました なぜかお堀に浮かべられた屋形船には、二ひきのあひるが仲よくエサをついばんでました(^_^;)。あれって、何だったのかしら?

歩行者天国となった国道17号線の両脇に屋台がずらりと軒を連ねて、道路の真ん中の分離帯のコンクリートはちょうど座席代わりなってました。その日は珍しく爽やかな風が吹き、屋台をのぞきながらのそぞろ歩きも気持ちがよかったです(^−^)。22日は午後1時〜午後10時まで通行止め。国道を止めてしまうのも昔の参勤交代を回り道させたなごりかも?

浴衣姿の女の子、はっぴ姿の男の子など、若い子は夏の衣装で競ってました。
ダーツゲームの屋台を見るのも初めて(・_・)
金魚すくいはどこでも盛況。カメすくいまであるのにはびっくりしちゃいました(^_^;) かき氷を盛りつけてもらったら、今度は蛇口をひねって、あれこれ蜜を好きなだけかけることができるんです

大判ソースせんべいにソースで好きな絵を書いてから、トッピングにカラフルなチョコレートの粒をお兄さんにかけてもらいます 懐かしかったですねぇ、切り抜き菓子!動物や花など、きれいに切り抜くと商品がもらえるんでしたよね?じっと見てましたが、商品をもらった子はいませんでした(^_^;)。1回100円

ボールすくいも人気のゲーム。うまくすくえるかどうか見つめる子ども達。しゃくしのようなもので1回しかすくうことができないんです(^_^;) 3つに分かれたかき氷のうつわ!だから味も3倍楽しめちゃうんですよね(^−^) 氷と書かれた暖簾を見て下さい(^^)。
夜風の強さ、おわかりになりますか?

巨大なうちわにこどもたちの作ったうちわが貼ってありました。デジカメで写していたら、「お子さんのが見つかったんですね」と言われてしまって(^_^;) 熊谷名物の五家宝の店先にも、ピンクのお飾りが。初めてみる形なので写してみました。ちょっと中国的な飾りに見えませんか? 熊谷はキャバレーなど、飲み屋街で有名。このフィリピンバブの入り口では客待ちの女性たちが大声で山車を応援してました(^_^;)

まさかおばけ屋敷の小屋を見れるとは!
昔ながらの呼び込みの口調がメチャクチャ懐かしかったです
小屋の中からは子ども達の悲鳴が(^_^;)。
白装束の幽霊が外のお客様にもサービスしてました(^_^;)

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