2019年2月12日、国立劇場で開演された人形浄瑠璃は、人間国宝の蓑助をたっぷり見ることができた上に、大好きな勘十郎や、三味線の清介、太夫の織太夫、多彩な演奏を見せてくれた貫太郎など、好きな人たちをじっくりと見ることができて、今まで観た文楽の一大集大成のような演目だった。
2019.2.15(金)up 渡辺京子
蓑助の繰る中将姫に、蓑助の姿が重なる(2019.2.15)
人間国宝の吉田蓑助は今年86歳。1998年、公演後に脳出血で倒れ、過酷なリハビリを経て、翌年奇跡的なカムバッグを果たした。文楽では女形のトップに君臨する人形遣いだ。
蓑助が出る公演はできるだけ見るようにしている。前回、蓑助が出てきた時は、すぐに幕間に下がってしまい、その後は、他の人形遣いが蓑助の代わりに人形を繰っていた。

だから、また、今回も短い時間だけかなと思っていた。短い間だったとしても、蓑助のその一挙一動を見たくて、前から4列目の席で注視していた。
目の前に広がる舞台一面にひらひらと白い雪が舞い続ける。演目は「鶊(ひばり)山姫捨松」。蓑助が中将姫とともに舞台に出てくると、大きな拍手が湧いた。

謀略のため、罪を着せられた中将姫が、継母の岩根御前の前に引きたてられてくる。中将姫は継母の策略だと知りつつも、何も知らないと、継母をかばい続ける。そんな中将姫を実は継母は、取り調べと称して、殺そうと、拷問を続けているのだ。

着物をはがれ、割竹で打たれる姫。息絶え絶えの姿が差し迫る。蓑助の繰る中将姫の息遣いがそのまま体力を振り絞って人形を繰る蓑助と重なってしまって、胸を打つ。割竹に打たれて、右に左にもだえる姫の一挙一動に目が奪われた。

残酷な拷問と、そんな継母をかばい続けるけなげな姫という残酷なストリーだが、最後に救いがあって、やっと胸のつかえがとれる。二人の女性の機転で、中将姫は救われるのだ。

最後は、そんな娘を、忠義のため、かばうことができなかった姫の父・豊成卿の、娘を犠牲にしなければならなかった苦悩が情たっぷりに、舞台に余韻を残していた。

幕が引かれて、「よかったねぇ、よかったねぇ・・・」と何べんも繰り返したほど、今回の人形浄瑠璃は感動の演目だった。
桐竹勘十郎、清介、織太夫、寛太郎の感動いっぱいの「阿古屋箏責の段」(2019.2.15)
次の演目「阿古屋姫箏責の段」は、太夫の織太郎や三味線の清介を目の前で注視した。箏や三味線、胡弓(実際には三味線を不思議な弦で弾いていた)を演奏する寛太郎は、観客席の一点を見つめて、箏や三味線、胡弓を見事に弾きこなしていた。

舞台を見て、太夫を見て、三味線を見て、時折、字幕まで見るので、途中から首が痛くなった。

織太夫の、品のある美声は余り変化のない舞台にメリハリをつけ、心地よかった。

目の前で一心不乱に三味線を奏でる清介を見つめていて、時折、目が会ってしまって、ハッとしたりもした(^^;)。舞台ではなく、首を真横にひねったまま、三味線をじっと穴が開くほど見つめる観客も珍しかったに違いない。

勘十郎が繰る阿古屋姫の演奏は、実際に人形が演奏しているかのように、寛太郎とぴたりと息が合っていた。人形の細い指が細やかに箏や三味線の糸の上を行き来し、時折、弦をさっと滑らす細かい芸まであって、余りにリアルな人形の演奏に、観客の中から笑いがこぼれていた。

また、ずらりと太夫が並んで、それぞれ人形たちの会話が振り分けられていたのも、迫力があっておもしろかった。

ただ、阿古屋姫の声の竹本津駒太夫の声が太くて、せっかく勘十郎が華奢で妖艶な阿古屋を繰っているのに、ちょっとミスマッチのようで惜しかった。

太夫や三味線には、若い人たちがどんどんと活躍の場を増やしている。
惜しいことに、人形遣いには、若い人たちの活躍が少ないように思う。

足遣い10年、左手遣い10年で、やっと頭(かしら)を扱えるようになる人形遣いでは、若い人たちにとっては壁が高過ぎるのかもしれない。一体、これからの人形浄瑠璃をどんな人たちが担っていくのだろうか・・・これからも見守っていきたいなと思っている。
次回は5月11日から27日の「妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)」が楽しみ
ところで、5月に演ぜられる国立文楽劇場開場35周年記念の公演がすごい。

まだ予約はできないが、これは見逃せない公演だ。

なんといっても、蓑助も、勘十郎も出る。和生も出る。

千歳太夫、織太夫も楽しみだし、特に清治、清介の二人が並んで三味線を弾くなんて、めったに見ることができない貴重な公演だ。

若い寛太郎は筋がよいだけに、織太夫同様、有望株として、ぐんぐんと伸びて行くに違いない。

早くも5月の公演が待ち遠しくてたまらないわたしなのである(^^;)。

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