2018/7/17、炎天下の中、日傘をさして、「能楽入門」の第一回講座へ。講師の佐久間氏は若いながらも重要無形文化財保持者の能面師。能面や小鼓を始め、能の舞まで披露し、最後は謡曲「高砂」を教えてくれた
2018.7.30(月)up 渡辺京子
聴講生を飽きさせない講座(2018.7.17)
能面の小面(こおもて)を披露し、「さて、この女性は何歳でしょう?」と質問。聴講生を飽きさせない工夫がいっぱいだ。16歳ほどだという小面はいかにも年代物で、角度によって、いろいろな表情を見せていた
能の誕生(2018.7.17)

※画像はネットより拝借
能は中国から伝来した「散楽(さんがく:物まね、大道芸、寸劇など)」が、「猿楽(さるがく:こっけいな物まね、曲芸、軽業)」として、庶民の間に広まったのが始まり。鎌倉時代、田楽(でんがく:田遊びから発生した日本の農耕芸術)として発展し、室町時代に、観阿弥・世阿弥親子により、様々な芸能が混ざり合ったものとして、集大成され、謡(うたい)、舞、ストーリー性が加わり、「能」として完成したという
能はなぜむずかしいのか?(2018.7.17)

※画像はネットより拝借
観阿弥・世阿弥によって、完成された能は、室町時代、足利義満に庇護され、王朝文芸と交じり合い、高度な舞台芸能へと発展し、江戸時代は武士のたしなみとして、幕府に守られたことで、この時代に芸が確立してしまった。

つまり、「能がむずかしいのは、650年間、昔のままのスタイルが続いた「奇跡」のためなんです」と、佐久間氏は言う。
上演スタイルが昔のまま確立されてしまったため、現代とはあまりにもかけ離れすぎていて、現代人には、理解しずらいのだ。

所作(演技)が最低限の動きで表現され、物語の展開はなく、「候(そおろお)」という口調で、延々と、過去に起こった事柄を語るのだ。言葉の壁もあり、内容もわかりづらい。

能の舞台も、囃子(音楽)も、常に決まり切った形であり、「仕舞」はゆったりと流れ、舞台自体に変化もないので、つい眠たくなってしまう。

佐久間氏は、「能を見るのに、挑んではいけません」という。
もともとお客様を楽しませるという要素は能にはないのだという。「能は、ぼけっと見るのが一番です。そうすれば、650年の流れに合わせることができます」という。

能は、あらすじが決まっているので、その日の役者の技量を見分けて、楽しむものだそうだ。

面(おもて)をかける(かぶる)ことで、能は非現実の世界を表している。
能の舞台は、4本の柱で囲まれ、客はその柱の中に入ることはできない。つまり、遠くから、見下ろして眺める芸術だというのだ。

能が非現実な表現に向かうのと、対局し、現実的なリアルさを追及したのが「歌舞伎」だそうだ。能と歌舞伎は真逆の芸術です、と佐久間氏は言っていた。 
全員で「高砂」を謡う(2018.7.17)

※画像はネットより拝借
まさか、「謡(うたい)」を習うとは思っていなかった(^^;)。最後の15分間に、謡の授業となった。ただ、三味線で今習っている「小鍛冶」の節回しに繋がる部分もあって、わたしにはそれほどの違和感はなかった。思い切り、おなかから声を出すと、気持ちよかった。佐久間氏はしきりに「うまい、うまい」を連発して、聴講生たちを喜ばせていた(^^)。

来週は、「能」の構造 能舞台と役職について」を習う。毎回、講座の最後の15分間に、謡の体験もあるらしい。第二回の講座も、できたら、報告したいと思っている。


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