1/13(水)、前日の冷たい雨と打って変わって、からりと晴れた一日、浅草の「浅草寺」で初詣をし、浅草の麦とろ懐石で舌つづみを打ち、上野の森美術館の「肉筆浮世絵」で美人画に圧倒されてきました。
2016.1.18(月)up 渡辺京子
お正月らしさがいっぱいの浅草散策(2016.1.13)
奉納された、巨大なわらじが飾られた浅草寺(せんそうじ)の朱の門をくぐると、初詣に訪れる人たちもたくさんいて、すごい人出。この大わらじは、延べ800人の人たちが1か月をかけて作るんだそうです
nabeさんと、家族みんなの健康を願って、初詣を終え、ほっとする。本堂の横に、ろうそくが灯っているのを見つけて、100円で2本のろうそくをもらい、ガラス戸を開けて、火をともして、手を合わせました
目の前では、もくもくと立ちこめる香炉の煙を頭にかけて、みなさん、ボケ防止(^_^;)??
香炉の煙は、身体の悪いところにけむりをかけると病が治ると言う習わしらしいのですが、皆さん、手を頭の上であおいで、煙を頭にかけているので、わたしも同じように真似をしていたら、nabeさんに笑われる(^_^;)。
実は、香炉自体は仏教が大陸から伝わった飛鳥時代にはすでに存在していたようで、当時の人びとは、体を清めるためにけむりを浴びていたとか
規模の大きな浅草寺は都内ということもあって、いつも人気。特にこの日は外人さんの姿が多かった。五重塔は、お釈迦様の御遺骨を奉安する仏塔の形式で、塔の中には、「百躰観音像」が安置されているとか
雷門の巨大な提灯の先には、華やかな仲見世。店頭の紅白の餅花が仲見世通りを行きかう人々を飾っていた。雷門の正式名は、「風神雷神門(ふうじんらいじんもん)」というらしい
仲見世通りを始め、伝法院通りなど、どこもかしこも日本情緒たっぷり。昔のちょっと暗い感じの浅草を知っているだけに、イイ意味での大変貌ぶりに、散策もついつい心浮き立つわたし
ラムネの屋台の向こうには、634mの高さを誇る東京スカイツリーがすっくと立つ 至る所にお着物のレンタルショップを発見。そういえば、明治や大正時代と思わせるちょっとハデ目で、羽織なしのお着物が多かったのも、そのせいだったのかしら
華やかな一画があるので、のぞいてみると、そこは浅草公民館で、出し物は「新春浅草歌舞伎」。公民館の前には著名人の手形がいっぱい
浅草麦とろで懐石料理 2016.1.3
お出かけというと、やっぱりわたしにとって、「食べる」のウエイトは大きい。今回は、nabeさんと出会った頃、連れて行ってもらった「浅草麦とろ」が懐かしくて、出かけた。予約なしで行くと、30分待ちと言われたものの、10分ほどで素敵な個室に案内された。楽しみにしていた「むぎとろ昼膳」の懐石を注文(3900円)
昔は、「三日とろろ」と言われ、1月3日に長寿や健康を祈願して「とろろ」を食べる風習があったとか。もともと、山芋は整腸作用や滋養強壮があり、 おせちに疲れた胃をいたわる効果もあるそうで、 江戸時代、町家では、お正月の松がとれないうちに「むぎとろ」を食べて、その1年の健康を願ったとか。2016年の年頭、わたしも麦とろを食べたので、今年一年、健康で過ごせるかしら(^0^)。先付がお正月らしい和紙に飾られて届く
覆いの下は、いくらの載った山芋などの前菜盛り合せ 3種盛りのお造りもおいしくてパクパク
お凌ぎは、揚げた麦とろを、ほのかな生姜風味の天出しでいただく 煮物は、芋まんじゅうに板麩がのって、ちょこんとゆず胡椒も。焼き魚は鰆(さわら)の西京焼き
次々に出てくる麦とろの懐石料理を楽しみつつ、おしゃべりにも花が咲く。ご飯の膳はもちろん、麦とろご飯。麦とろご飯がつるつると喉ごしを流れて行く。とうとう、おひつに入ったいた麦ご飯をほとんど食べてしまう。いくら食べても飽きない味に、お腹も満杯
デザートに、麦とろが入った抹茶アイスと、浅草麦とろの名物かりんとうをいただいて、大満足のランチを終了 今回、特に個室が気に入って、明治時代を彷彿とさせる室内のゆったりとした時間は、最近とみに忘れかけていた「時」の流れで、食事同様、素敵なひとときだった(^_^;)
肉筆浮世絵 美の競艶 上野の森美術館 Weston Collection 2016.1.13
歌麿、北斎、豊国、暁斎をはじめ、たくさんの浮世絵師が存在していたことに改めて驚く。そして、何より、100点という浮世絵の数の多さや、絵の大きさにも圧倒された。まるで、1本の毛で書いたのではないかという繊細な浮世絵に、顔をガラスにくっつけて、しみじみと見つめる。線で描かれた鬢もあれば、ぼかしたように鬢を描く画風もあった。とにかく、いろいろな作風が存在することも驚きだった。7等身の江戸美人もいれば、歌舞伎役者のような花魁や遊女もいて、道端に立つ夜鷹の姿さえ、描かれていた。着物の柄や着付、鬢の形など、はやりすたりもあるはずなので、江戸文化を知る上でこんなに貴重な資料はないだろうなと、無智なわたしでさえ、納得できた(※画像は、上野の森美術館のHPより拝借)
どんな過程で、こんなにたくさんの浮世絵がシカゴへ運ばれていったのだろう。シカゴに保存されたから、戦災をまぬがれたのだろうし、よい保存状態で保管されたのだと思う。これらの浮世絵はそういう運命を背負った絵画だったのだろう(※画像はチケットと、上野の森美術館のHPより拝借)。浮世絵に描かれた遊女たちの表情は、お正月だったせいなのだろうか、どの顔も晴れやかで、つやつやとしていた


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