2.HISの充実の一日観光ツアー
ガイドの楊さん(2010.5.14)
3泊4日で総額が仰天の28,190円という価格にも拘わらず、翌日、申し訳ないほど、しっかりとした1日観光ツアーがついていて、充実した一日を過ごすことが出来ました(^^)。ただ残念なことに国立故宮博物館内は撮影禁止。故宮の二大名物の白菜と角煮や工芸品なども見学したものの、画像がないためページが作れませんでした。

正直、白菜や角煮は大きな工芸品とばかり思っていたので、手のひらサイズの角煮や、両手に乗るサイズの白菜には少々ガッカリ。それに他の工芸品類も虫眼鏡でのぞくものが非常に多く、たくさんの見物客の中で、虫眼鏡までたどり着くのは至難のワザだったりして(^^;)、結局、遠目で見て、通り過ぎただけでした。

でも、このように展示物が小さい理由として、戦禍からまぬがれて中国から台湾へ逃れて来るには、小さくないと運べなかったからかな、などと勝手に解釈し、納得してしまいました(^^;)
「家の電化製品は全部SONYです」と話す楊さんは日本びいき。他のガイドさんは早口で半分も理解できないのに、楊さんはわかりやすい日本語で詳細な説明をしてくれました。

台湾の面積は九州よりちょっと小さく、山だらけのため、住める場所は1/3だけ、とのこと。その1/3の場所に、2300万の人が住んでいるそうです。道路は高速道路並みに整備されているものの、バイクがすこぶる多く(まるでバイク軍団)、バイク事故が多発、楊さんも「3回、事故に会いました」と、腕の古傷を披露してくれました(^^)。

楊さんによると、今の台湾の若者たちは日本と違い、政治に強い関心を持っているそうです。今の政府が中国寄りで、将来、中国から労働者を受け入れるという政策をとっているため、台湾での仕事も少なくなり、最終的に中国に吸収されるんじゃないかという危機感を持っているからだそうです。「台湾は国として認められていないので国際的にもとても中途半端なんです」という楊さんの言葉が深く印象に残りました。
孔子を祭る「孔子廟」と「保安宮」(2010.5.14)
台湾は儒教の国、儒教の教えに従い、家族を大切にし、年上を敬います。ただ、近年は離婚も増えているとか。入母屋造りの二重屋根の大成殿にはたくさんの花やお供え物が置かれ、ひっきりなしにたくさんの人がお参りをしてました
山のように積まれたお菓子などのお供えセットが次々に買われていく まるでおっぱいのように見えたお供えは白いおこわの上に載った果物の竜眼(龍と掛けている)。後で竜眼の殻をむくのは、「生まれ変わる」という意味から。右は孔子廟の内柱の竜。台湾人にとって龍は特別
上を見上げると、荘厳な彫刻に目を奪われる。881年に創建。しかし、1907年に日本軍により破壊され、現在の建物は1927年から1955年にかけて、福建省南部の建築様式を取り入れて完成したもの
尺八で日本の曲を吹いていたお年寄り。お辞儀をしたら笑顔で応えてくれました(^^)。日本領であった名残りを垣間見たような気がしました 同安の有力者が1805年に資金を集めて保安宮を再建。規模の大きさや、造形の美しさ、彫刻の素晴らしさでも有名。屋根の上にも見事な彫刻群
「中正紀念館」(2010.5.14)
池や庭園があり、市民の憩いの場となっている中正紀念館。後日、朝の公園ウォッチングで再度訪れました 蒋介石氏が亡くなったのは89歳。台湾では数え年で計算するので、階段は90段あるそうです。皆で数えたらマチマチでした(^^;) 蒋介石さんを好きか嫌いか、といえば、台湾では半々に分かれます、と話すのは楊さん。複雑な台湾の事情があるからなんですね
「忠烈祠」で見た衛兵交替(2010.5.14)
見事な3つのアーチの大門のひとつから、忠烈祠(ツォンレイスー)をのぞいてみました まるでカラクリ人形のような衛兵さん。何度確認しても、本当に充血した目をカッと見開いたまま、まばたきをしないんです(・_・;)。実はこの衛兵さんが交替するのは1時間後。つまり1時間まばたきナシなんです(すごすぎ!)、以前は2時間の交代制だったといいますから、ホント過酷な勤務でしたね
忠烈祠を守る衛兵さんは超エリートさんたち。背が高く容姿もよくないといけないそうです(^0^)。緑色の制服が陸軍で、白が海軍、水色が画面では見えませんが、空軍です。わたし的に言わせてもらうと、もちっとズボンが長くてもよくありませんか?(^^;)(余計なお世話) あ、それから、写真を一緒に撮るのはよいそうですが、カラクリ人形のように立っている傭兵さんには絶対にさわってはいけないそうです