2019.1.2
No.1

おせち料理のウンチク

今や、作るより買うが一般的になってきたおせち料理。重詰め(おせち料理の完成品)の市場は約600億円(2017年)というから驚く。しかもン十万とか言う豪華年欄なおせちの重箱も話題になったりして、年々、おせち料理が高級化しているそうだ。

ところで、昔のおせち料理は飾り物だったそうで、本来食べる物ではなかったということをご存じだろうか。
日経新聞で見つけた「くらし物語」より、おせちのウンチクをこちらで紹介しますね。

おせちの発祥


※日経記事より(以下同様)
おせち料理の始まりは、正月やひなまつりなどの五節供(現在の節句)に神様に添える「御節供(おせちく)」から。神様に供えた食事を下げて、家族で食べる「直会(なおかい)」の食べ物が起源になっているそうだ。

時期は稲作が広まった弥生時代にさかのぼり、奈良時代から平安時代にかけて、定着したと言われている。

江戸時代は、食べないおせち料理だった

江戸時代には、数の子や田作り(ごまめ)、たたきゴボウなどの祝いざかなをおせちに用いたという記載が「諸国風俗問状答」に書いてあるという。おせち料理には、子孫繁栄や健康に暮らせるようにという願いが込められていた。

江戸時代のおせち料理と、今のおせち料理との決定的な違いはその形。当時のおせちは三段重スタイルではなく、三方に松竹梅やミカン、栗、伊勢海老などの縁起物を飾った「食い積み」と、ご飯、魚、煮物などの本膳の二本立てだったそうで、中身も大名の家でさえ、イモや豆などの質素な膳だったようだ。

この食い積みは、年賀に訪れた客人に出すが、実は客人たちも、食べるふりをするだけで、飾りの意味合いが強かったとのこと。

幕末から明治に入り、形式的な食い積みが廃れ、祝いざかなを重箱に詰めたものになっていった。

明治後半、雑誌「婦人の友」などで重詰め料理が普及

明治後半、雑誌「婦人の友」などで、重詰め料理が正月料理として紹介されると、一気に重詰め料理が普及し、大正期には品数も増え、試行錯誤を重ねながら、口取り、焼き物、甘煮、酢の物などが一般的になっていった。

これらが広がったのは、戦前の女学校などで実施された「かっぽう教育」の影響もあったとのこと。それまでは地域ごとにさまざまだった正月料理が、次第に全国的に統一されるようになったのだ。ただ当時は口取りや、松竹梅を模した野菜の煮物など、簡単なものだったらしい。

高度成長期を背景に、おせち料理は派手になっていく


※こちらは、料亭で販売した3万円のおせち料理
戦後、高度経済成長を背景に、雑誌が紹介するおせち料理が見た目もどんどんと派手になっていく。さらに、昭和後期のバブル景気にのり、百貨店や高級料亭がおせち料理を販売するようになり、今の豪華おせちの始まりとなった。伝統的なおせち料理が、都市部の中間層を中心に、おせち料理が定着していき、おせち料理は「作る時代」から「買う時代」へ移行していった

進化するおせち料理

ン十万円のおせち料理が話題になったりしているが、今は「犬用おせち」や、「おひとり様おせち」、インスタ映えする「パフェ風おせち」など、年々多様化しているそうだ。

また、ローソンの100円も好評だとか。栗きんとんや数の子などの定番おせちがひとつ100円で売られていて、好きな物を必要な量だけ楽しめるようになっているという。今年は95万個、販売されたそうだ。

我が家でも、「僕は伊達巻きが好き!」、「お雑煮にはナルトだよね」と、正月料理を楽しみにしているnabeさんのために、それらしいおせち料理をちょこちょこ買って、適当に(!)正月らしい料理を並べた。お雑煮はmisaちゃんのおすそ分けをおいしく食べた。わたしを通り越して、娘たちがお正月料理の伝統を守ってくれている(^^;)。

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